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第447章:东征倭国(续)(2/2)

作者:窗外雨声响

7年)“岛原之乱”,四年后完成了“锁国政策”,“德川幕府”一连串强权政策被认为是“武断政治”。

    到了“庆安四年”(西元1651年)四月二十日,德川家光逝世于“江户”,享年四十八岁。其墓所在,位于訤木县日光市的“轮王寺”,法号“大猷院”,被“幕府朝廷”赠“正一位太政大臣”。这是他在异时空的生平。

    此时,在“江户幕府”的议事厅堂中,德川家光与其父德川秀忠相对跪坐,下方垂头跪坐成一片的是来自各地大小封建势力的代表,皆一副“眼观鼻”和“鼻观心”的严肃表情,因为他们早已得知了很不好的消息。

    “尊敬する父上が,あなたの息子に就いており,私はすでに信頼できる情報を得ました。海の西の明は傾国の兵を率いてわが日本国を攻める準備をしている。これはどうすればいいですか。(尊敬的父亲大人在上,你的儿子我已得到可靠消息:大海西边的明朝准备起倾国之兵来攻打我日本国。这该咋办?)”

    “フフ、そうですか?明が滅びてわが日本国の心は死なないようですね。どれだけの軍隊を派遣できるかわからないということですか?また、海を越えた重洋作戦は容易ではありません!(呵呵,是么?看来,明朝灭亡我日本国之心不死啊!就是不知它能派出多少军队?另外,跨越大海重洋作战可不容易!”

    “そうだよ。お二人の将軍様は、モンゴル人が築いた元朝が、かつて二度も東征して、私の日本国は失敗に終わったことを忘れていますか。海には暴風や大波があるのに,何を恐れているのか?(就是嘛。两位将军大人,莫非忘了当年蒙古人建立元朝后,曾两次发兵东征我日本,不都以失败告终了么?海上有狂风巨浪,还怕什么呢?)”原本在下方跪坐成一片的幕府官员和各地“大名”们心中不免腹诽起来了。

    德川家光从对面父亲的言语中听出了不以为然的意思,但自己始终觉得这次恐怕凶多吉少,于是又问道:“でも,お父さんよ。ご存知かもしれませんが、明は今回合計30万の軍隊を派遣して我が国を攻撃しました。そして、明の明を陰で助けている修道者も多いそうです。(可是,父亲!您可能有所不知,明朝这次总共派出了30万军队来攻打我国。而且还听说有很多‘修道者’在暗中帮助明朝呢。)”德川家光道。

    “何が修道者が参戦しますか?これは小さな問題ではないよ。必ず報告してください!(什么?有‘修道者’参战?这可不是小问题啊!一定要报告给……)”德川忠秀话一说到此就戛然而止,因为有顾忌。

    “誰に報告しますか。扶桑神道教の教祖に報告するのですか?それは天皇だよ。そうすれば、それは権力を譲り合うことになるのではないか。だめだだめだ,絶対にだめだ(要报告给谁?难道要报给给‘扶桑神道教’的‘教主’?那可是‘天皇’呀!如此一来,那还不等于把权力拱手相让了?不行不行,绝对不行!)”

    “息子よ。非常時に非常なことをしなければならないということを覚えておきなさい,今の情勢から見れば,だめでもしなければならないよ!死ぬのを待っていることを知っていたほうがいいでしょう。(儿子记住,在非常时期,要行非常之事!就目前的形式来看,不行也得行呀!总好过明知在等死吧。)”

    “しかしこのまま日本中の支配権をみすみす引き渡すのだろうか。息子さん、私は本当に悔しいですね!やめたほうがいいでしょう。他に方法はありませんか?あなたたちも話してみてください(可就这样眼睁睁交出日本的统治权吗?儿子我真的心有不甘啊!还是不要吧?难道就有别的办法了?你们说?)”

    “お二人の将軍様がお二人で決めておけばいいのですが、私たちはせいぜい駆け足で手を打つしかないと言いました。時間が迫っていますので、お二人の将軍に迅速な決断をお願いします(两位将军大人在上,你俩决定好就行了。我们说了不算,最多只能跑跑腿,打打下手而已。时间紧迫,请速做决断!)”

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